口腔ケアが健康のカギを握る(From Oral to Overall Health)~口腔ケア・データを通じた全身疾患モニタリングおよび未病・予防対策に向けて~

コラム

概要

1. はじめに

歯周病等の口腔疾患と、全身疾患との関連性が徐々に明らかになる中、口腔ケアを従来の治療アプローチから、口腔および全身疾患の予防・未病アプローチへと捉え直す動きが活発になってきている。本レポートでは、口腔ケアを取り巻く日本の現状を再整理するほか、介護施設入居者および介護者各100名を対象に実施したアンケート調査結果を基に、介護施設に入居する高齢者の口腔状態および口腔ケアの実態と課題について報告する。また、これら課題の解決策になり得るであろう「テクノロジーを活用した新たな口腔ケア製品・サービス」を紹介する。今後、う歯や歯周病、オーラルフレイル予防としての口腔ケアに留まらず、全身疾患のモニタリングや未病・予防対策としての口腔ケアが一層注目を集めると期待される。

わが国の歯科口腔保健は、「8020運動」や「歯科口腔保健の推進に関する法律」等により、大幅な改善が図られてきた。近年では、口腔と全身の関連性に関するエビデンスが蓄積され、良好な口腔状態を保つことで全身の健康も改善しようという新たな潮流がみられるようになっている。政府も国民皆歯科健診の導入検討を「骨太の方針2022」に盛り込む等、ヘルスケア文脈における口腔ケアの存在感が高まっている。

しかしながら、従来通りの口腔ケアでは解決できない新たな歯科口腔課題も顕在化してきている。たとえば高齢者の残存歯数が増加した一方で、歯周病の増加やオーラルフレイルといった問題が注目されるようになった。また、高齢化が進むわが国では、口腔ケアを必要とする介護施設入居者が増加する一方で、介護提供側の口腔ケア提供体制の不十分さも指摘されている。

本稿では、まず歯科口腔保健分野における政策動向等を概観しながら、近年注目されている口腔と全身の関連性、国民皆歯科健診導入により起こり得る変化に触れる。次に、2022年8月~9月に当社が実施した介護施設入居者および介護者各100名を対象としたアンケート調査結果を基に、介護施設における歯科口腔保健の実態と課題・ニーズを報告する。最後に、これらの課題解決に資する新たな口腔ケア製品やサービスを紹介したい。

2.口腔ケアを取り巻く日本の現状

(1)歯科口腔保健分野における政策動向等

1989年、厚生省(当時)と日本歯科医師会が連携し、「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という「8020運動」が開始された。この運動により、わが国では小学校教育から歯科口腔の意識が徐々に変化してきたと報告されている。2000年に制定された「健康日本21」では、生活習慣病対策における重要課題である栄養・食生活、たばこ、アルコール等の中に「歯の健康」が組み込まれた。2011年には初の歯科単独法である「歯科口腔保健の推進に関する法律」が制定され、健康施策における口腔保健の重要性が確固たるものとなった。2013年の「第二次健康日本21」では、健康長寿の実現を目指すべく、従来のう歯予防に加えて歯周病や口腔機能維持が追加された。また、団塊の世代が75歳以上となる2025年に向けた地域包括ケアシステム構築が進められる中で、「オーラルフレイル」という新たな問題提起と、具体的な予防方法のひとつとして「かかりつけ歯科医」が奨励されるようになった。直近では「2040年を見据えた歯科ビジョン」により、超高齢社会における歯科医療の新たな役割が提示されている。

(2)口腔状態と全身疾患の関係性

近年、口腔状態と全身疾患の関連性に関する研究は徐々に蓄積されてきており、歯垢や唾液、舌苔等が主な口腔データとして取り扱われている。特に歯周病は人類史上最も多い感染症とされており、エビデンスレベルは異なるものの動脈硬化、糖尿病、虚血性心疾患、リウマチ、認知症、早産・低体重児出産等との関連や発生メカニズムも報告されている(図表2)。

【図表2】口腔状態と全身疾患の関連性

口腔状態と全身疾患の関連性

(3)国民皆歯科健診制度

図表3に示す通り、現状、成人以降の歯科健診は努力義務とされている。このような中、「国民皆歯科健診制度」が新たに検討されている。国民皆歯科健診制度とは、全国民が生涯にわたり歯科健診を受ける制度であり、この新制度を導入することで、口腔の健康維持を通じた全身疾患予防による健康寿命延伸と医療費削減が期待されている。同様の議論はこれまでもあったが「骨太の方針2022」に初めて名称が盛り込まれたことで制度導入が現実味を帯びてきた。政府は具体的な導入時期を明言していないものの、日本歯科医師会会長は3~5年後の導入が目途と発言している。同方針には「全身と口腔の健康に関する科学的根拠の集積と国民への適切な情報提供」の文言も明記されており、歯科口腔保健に関する政策的関心が急速に高まっていることが伺える。

【図表3】ライフステージ別の利用可能な歯科健診制度(現行)

ライフステージ別の利用可能な歯科健診制度(現行)

以下では、国民皆歯科健診制度の導入によって起こり得る歯科口腔保健を取り巻く状況の変化について2点共有したい。

① 口腔ケア意識の向上と予防歯科ニーズの多様化による歯科医院の機能・役割の変化

国民皆歯科健診が制度化されると、これまで歯科健診義務がなかった成人期以降の歯科受診者の増加や口腔機能の維持・向上等のより包括的な口腔に関する相談・ケア、およびその提供方法の多様化が起こるものと予想される。そして、そのような新たな変化に対して、歯科医師偏在や歯科衛生士の人材確保といった既存の歯科業界の課題に向き合いながらも、柔軟に対応していく歯科医院の需要が高まるのではないか。特にオンライン診療、口腔データの利活用を通じた効果的・効率的な診療体制の確立、スタッフの就業環境・労働条件の改善が肝となる。

② 医療業界全体に対する質の高い口腔ケア実践への期待

国民皆歯科健診導入によって社会全体が質の高い口腔ケアを求める方向にシフトしていく中で、病院や介護施設に対する口腔ケアに関する支援の期待がより高まるだろう。実際に、2021年の介護報酬改定により従来の口腔ケア(口腔清掃等)を超え、摂食・嚥下機能の維持・向上、摂食支援等の要素を取り込んだ口腔健康管理が求められるようになった。しかしながら、歯科専門家以外の医療介護従事者が十分に質の高い口腔ケアを提供できていないのが現状である。高齢化がさらに進展する日本では、介護施設や在宅における口腔ケア提供が必要な高齢者の増大も見込まれる。しかし、看護・介護分野の深刻な人材不足はかねてより問題視されており、年々増加する業務負荷により口腔ケアやアセスメントへの十分な時間確保も困難である。特に介護施設では、歯科医師や歯科衛生士等の歯科専門家が常駐配備されておらず、看護師や介護職員のみでは必要に応じて歯科専門家につなげることもハードルが高い。これらの課題に対応できるように医科歯科連携をさらに強化していくだけでなく、これらの解決に資する新たなソリューションやシステム開発への取組が求められる方向に進むだろう。

3.介護施設入居者における口腔ケアの現状と課題

今回、当社では、口腔ケアの現状と課題を明らかにすることを目的に介護施設入居者100名、介護者100名にアンケート調査を実施した。以下に調査結果を示す。アンケート調査の実施概要詳細に関しては文末を参照されたい。

(1)介護施設入居者の口腔状態や口腔ケアに関する課題・悩み

アンケート調査に回答いただいた介護施設入居者は100名(要介護認定者の男女各50名、年齢中央値は66.0歳)。入居施設の種類としては介護老人保健施設、特別養護老人ホーム、介護付き有料老人ホームの順に多かった。
本アンケート調査では、51.0%の介護施設入居者が口腔内の健康状態が「悪い」・「やや悪い」と回答した(図表4)。具体的な口腔課題としては、「歯周病」(32.0%)、「歯の欠落」(29.0%)、「虫歯」(26.0%)等があげられた。また「口臭」(23.0%)や「ものが食べづらい」(16.0%)、「乾燥」(13.0%)、「口の開閉や噛む動作に伴う痛み」(3.0%)等のオーラルフレイルに関連する課題もみられた(図表5)。歯科医師/歯科衛生士から年1回以上検診を受けている入居者は72.0%であった(図表6)。他の調査と比較すると、一般の同年齢層の回答は約50.9~57.0%であり、本調査対象は介護施設に入居していることから検診頻度が高い層であると想定される[15]。それにも関わらず口腔課題を抱えている者の割合が高いことが明らかとなった。また口の健康状態が自身のQOLに影響を与えると認識する入居者は85.0%と高かった(図表7)。歯磨き時の課題としては、「歯磨きが面倒くさい」(28.1%)、「歯磨きに自信がない/うまく磨けない」(20.2%)、「時間がかかる」(19.1%)等があげられた(図表8)。歯磨き介助を受ける際の課題では、「痛みや不快感がある」(52.9%)、「時間がかかる」(41.2%)、「うまく磨けていない部位や磨き残しがある」(29.4%)等があげられた(図表9)。

介護施設入居者の多くは、一般層に比べ検診頻度が高く、口の健康は全身の健康に影響を及ぼすことを認識してはいるものの、半数がなんらかの口腔課題を抱えていた。自身で歯磨きを行えている入居者は、うまく磨けていないという感覚に加え、歯磨きに心理的、身体的負荷を抱えていることも明らかとなった。また口腔ケア介助を受けている入居者は、約半数が痛み、不快感、磨き残しといった「介護者側のスキル不足に起因する問題」に悩まされつつも、ケア提供者に対して「申し訳なく感じる」といった心理的な負荷を感じていることも浮き彫りとなった。

【図表4】施設入居者の口の健康度(主観)

【図表5】施設入居者が抱える口腔の問題(複数回答可)

【図表6】施設入居者の歯科検診の頻度

【図表7】口腔状態とQOLの関係性への認識(入居者)

【図表8】 歯磨き時の課題(複数回答可)

歯磨き時の課題(複数回答可)

※「自分で行う(83人)」と「時々介護者から介助してもらう(6人)」を合わせた計89人

【図表9】 歯磨き介助を受ける際の課題(複数回答可)

歯磨き介助を受ける際の課題(複数回答可)

※「介護者が行う(11人)」と「時々介護者から介助してもらう(6人)」を合わせた計17人

(2)介護者による口腔ケア提供の現状・課題

次に、介護施設で働く介護者100名(男女各50名、20代~50代各25名)のアンケート調査結果を紹介する。回答者の72.0%が介護福祉士であり、働いている介護施設の種類は、特別養護老人ホーム、グループホーム、介護老人保健施設の順に多かった。

本アンケート結果によると、介護施設入居者の口腔衛生状態がQOLに影響を与えていると考える介護者が、全体の88.0%に及ぶことが分かった(図表10)。介護者自身が感じている口腔ケア提供の課題としては、「時間がかかる」、「介護者によって質が異なる」、「多忙で時間や質が担保できない」等が挙げられた(図表11)。介護者ひとり当たりが担当する口腔ケア時間は、1回の食事に対して計32.5分(介護施設入居者ひとり当たり5分×6.5人、中央値で計算、図表未掲載)であることも分かった。一方、日々多くの時間をかけて口腔ケアを行っているものの、介護者の71.0%が口腔ケア介助のスキルを学ぶ機会が「全くない」、「あまりない」ことも分かった(図表12)。また、歯科関係者との定期的な連携体制が整っていない施設が半数を超えることも明らかになった(図表13)。

【図表10】口腔状態とQOLの関係性への認識(介護者)

【図表11】口腔ケア介助に関する課題(複数回答可)

【図表12】口腔ケア介助スキルを学ぶ機会の有無

【図表13】歯科関係者との定期的な連携有無


以上のように、介護施設入居者の口腔状態の改善がQOLの向上に寄与することが認識されてはいるものの、多忙を極める介護現場において、個々の介護者のスキルのみに頼る口腔ケアには限界がある様子が確認された。

一方、このような現状に対し、介護者・施設入居者双方の抱える課題を改善・解決することのできるような次世代型の全自動歯磨きデバイス等の新たなイノベーションに期待があることも伺われた。本アンケート調査では、現在9割以上の介護者が、介護施設入居者の口腔ケア時に「一般的な歯ブラシ」を使用していることが分かった(図表14)、しかし、これらのツールが十分ではないと感じているためか、今後、次世代型の全自動歯磨きデバイスが普及したら、これを「使いたい」とする声が6割超あった(図表15)。

【図表14】使用している口腔ケア製品(複数回答可)

【図表15】次世代型全自動歯磨きデバイスの利用希望

4.テクノロジーを活用した新たな口腔ケア製品・サービス

本アンケート調査からも明らかになったように、介護施設入居者の口腔ケアには多くの課題が存在する中、テクノロジーを活用した新たな口腔ケア製品・サービスの普及に期待が寄せられている。早稲田大学ロボット研究室発のスタートアップGenics社は、ブラシをくわえるだけで自動で歯磨きを行う次世代型全自動歯ブラシ・デバイスを開発、現在実証フェーズを終え、2023年には高齢者介護施設を中心に販売を本格化させる計画である。同社のデバイスを用いることで、手動による歯磨きや既存の電動歯ブラシと比較しても短時間で磨き残し少なく歯垢を除去することができ、う歯や歯周病、またオーラルフレイルの予防のみならず、全身疾患の予防・未病につながることが期待される(図表16)。高齢化に伴い要介護者の増加が見込まれる中、同デバイスは、介護者の口腔ケアに係る業務負担軽減につながる介護テックとしても期待されている

【図表16】 新規口腔ケアデバイス事例:Genics社「次世代型全自動歯ブラシ」

新規口腔ケアデバイス事例

5.おわりに ~ From Oral to Overall Health ~

2021年の世界保健総会にて、世界保健機関(WHO)が「口腔ケアを従来の治療アプローチから予防アプローチへ移行」させる必要性を述べる等、大きなパラダイムシフトが起ころうとしている。非感染性疾患対策に口腔ケア含めることは、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の達成に不可欠であるとされ、2023年には各国が2030年までに達成すべき指標を含む「グローバル・オーラルヘルス・アクションプラン」の策定に向けた議論も加速する見通しだ。オーラルヘルス(Oral Health)が全身の健康状態(Overall Health)の鍵を握る存在になっていくことは必然と言える。

引用元:MUFG

タイトルとURLをコピーしました